袴田事件・静岡一家4人殺害事件(1966年)





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・袴田巌さんは2024年10月8日、殺人事件において「無罪」と確定しました。あくまでも事件の経緯、流れを書いた記事です。

 

・別名「静岡一家4人殺害事件」も併記します。

・元被告の方が無罪だったならば「犯人はダレ?」という疑問がわき、とりあえずwikipediaを読み、気になる部分だけを抜粋しました。

・結局「真犯人は誰だったのか?」というのが謎として残った事件でした。

 

情報元 wikipedia

 

■ポイント

・みそ会社は当時37-38人の従業員を抱え、被害者の父親が社長を、長男である被害者が専務を務めていた

 

・同社の味噌・醤油の年間取引額は1億円を超えており、経営は順調であった

 

・4人の遺体にはいずれも刺し傷があり、前日に集金された現金約50万円のうち37万円が発見されなかった。事件直前、現場住宅の寝室にあった集金袋9個のうち、火災直後は3つが見当たらなかった。

 

・火災直後に発見されなかった3つの集金袋のうち、1つは同日5時30分頃に人血が付着した状態で、1つは同日14時頃に現場住宅の裏口付近で発見された

 

・清水署の特捜本部は逮捕容疑には強盗殺人と放火に加え、前年の1965年8月ごろから4回にわたって工場の製品である4kg入り味噌1樽や500g入りの金山寺味噌45袋(計2,695円相当)を盗み、清水市内の旅館に売っていたとする窃盗の余罪も含まれている。

 

Q.怪しい人物は?

A.前年に4回も商品を盗み、旅館に売却した人物。単独犯か複数犯かは不明。旅館に売却している以上、窃盗についての容疑者は特定できていたはず。ただ、取り調べがずさんだったため、清水署含め警察の捜査が「どこまで真実なのか?」という疑念が残ります。

 

 

Q.なぜ専務一家4人が殺されたのか?

A.動機が見えません。専務を殺したところでメリットを受ける人物がいたのでしょうか?単に専務に恨みを持った人物の可能性がありますが、それでも他の3人を殺すほどの恨みがあったのでしょうか?

 

Q.3つ目の集金袋の行方

A.wikipediaの情報では、いまだに不明。

 

Q.会社内で、会社や専務に恨みを持つ者がいたのか?

A.経営が順調だったことから、普通なら給与の面で恨みを買うことはなかったでしょう。ただ企業でありがちな「パワハラ」などはあった可能性は少しはあります。

 

・集金袋を盗むということは、袋の場所を知っている者つまり社員であることが濃厚。ただし、盗めば自分が怪しまれることは明らか。普通の社員はしない。

・従業員が37,8人もいたことから、警察は全員のアリバイ、事情聴取がどこまでできたのか?

 

警察の問題点

・非人道的で長時間の取り調べを行った点。このことがのちの裁判を長期化させて最大の原因。

・「この男が犯人」と先に決めて、そのための証拠づくりに専念した可能性が高い。

・本来なら関係者全員への聴取を丁寧に行うべき、また「行方のわからない集金袋」をどこまで本気で調べたのか?それが寮内にあったのか?すでに別の所に移されたのか?などの捜査をする。

・前年にあった「ミソ窃盗犯」が必ずしも「殺人犯」とは限らない。検察や警察はそう決めつけたと推定できるが、そのことも長期化の原因

・仮に当時の新聞が閲覧できれば多少の情報は得られる可能性はありますが、当時は警察の公表がそのまま記事になっているだけの可能性があるので、あまり参考にはなりません。むしろ、当時のフリーの記者による取材・調査の方が参考になるかもしれません


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